重光葵記念館

重光 葵(しげみつ・まもる)記念館

 

重光 葵 (1887 - 1957) は大分県の生まれで、外交官・政治家でした。上海事変の停戦交渉に関与しますが、同地で起きた爆弾事件のため右下肢を失います。1945年9月2日、米艦ミズーリ号で大日本帝国を代表して降伏文書に署名した外務大臣は彼です。戦犯として禁固された後に政界に復帰し、1956年の国連総会では日本国代表として演説をしました。逝去の地である湯河原に、ご子息がこの記念館を開設なさいました。